私の大人観
今週のお題「大人になったなと感じるとき」
※スマホで書いたので、読みづらいのはご容赦ください。
例えばテレビを見なくなる。ニュースくらいは見るけど。
たまに見ても、楽しみ方のベクトルが違う。
バラエティでもドラマでも、オチを予測することしか楽しみが無くなる。
要は人間が考えたものなのだから、基本がしっかりしてる以上ある程度オチは読める。楽しい。
泣くことが無くなった。というか、最後に泣いたの中学生だったか?覚えてないけど。
特にフィクションで泣くのはキツい。だって「ほら泣けよ」が透けて見えるような作られた展開だし、ドキュメンタリーでも演出が過剰だったりして、逆に泣けない。自然な人の営みが一番泣ける。
でも最近、エモい曲を聞きながら漫画のエモいシーンを読めば潤むくらいは出来ることに気づいた。涙ルーチンを発見出来て嬉しい。
基本的に人には期待してない。自分の望むことをしてくれる人なんていない。いるとして、それ相応の対価を払わなければならない。無償の愛なんてないし、打算ばっかり。
細かくあげれば色々あるけど、要は世を穿った目で見たり、経験則に頼り始めたり、朝眠かったり、世の中に絶望してきたら大人だと思う。
だけど、こうやって自分を俯瞰する機会を得て思ったことだけど、大人にもステージがあると思う。癌みたいにだんだん進行していくやつ。
ステージ1 子供:世の中及び自分に対する期待(希望)がある
ステージ2 現実を知る:葛藤や自己嫌悪。絶望とそれに付随する負の感情を抑えられなくなってくる
ステージ3-a 自己を受け入れる:現実を受けいれ、それなりの生き方を選択する
ステージ3-b 抵抗する:現実を受け入れられず、もがき続ける生き方を選択する
※ここからなぜか口調変わる
上の考え方をすると、現実を見ることが出来れば大人で、そのうえでどう選択するかはもう関係ないと思います。
ただし精神の安定に大きく影響はします。3-a側の胸中は分かりませんが、上手くいっているように見えてどこかモヤモヤしているのかもしれませんし。
3-bはもう、毎日が戦いです。正直精神衛生上良くはないし、身の丈にあった生き方を望むべきなのかもしれないと思うこともあります。でも恐らく、この生き方を選んだ人達はギリギリまでこの生き方を続けると思います。一種の病気ですからね。
ちょっと脱線しましたが、まとめると大人というのは現実を見ているかどうかです。聡いだとか家庭があるだとか、加齢臭がするだとかそんなことは関係ありません。
人生とは心を育てるものであり、仕事や子育てなどはその手段でしかありません。と、私個人は人生観として持っています。
まあ、こういう考え方をしているので性格は悪いと自覚しています(笑)
ただ、人間には善と悪両方の心があり、どちらを表に出しているかの差でしかないとも思っています。私が言っても性格の悪いことの言い訳にしかなっていないかもしれませんが、そう思います。
月並みですが、なんで生きてるのかと考えることは未だにあります。
結局、壁を乗り越えるその日まで私はずっと問い続けるのだと思います。
あるいは、一生
取り留めのない文章で申し訳ありませんが、少しは大人観を共有できたかな?と勝手に思っています。
人には色々な価値観があり、それは尊重されるべきです。
それぞれ立場も環境も、見てきた現実も与えられた現実も違うんですから、考え方は違って当たり前です。
だから私の価値観を押し付ける気はありません。ただ、知って欲しいだけです。人の色々な考えを理解出来れば、人生を生きていく上での一助になると思っているので。
だから、こんな駄文であっても、あなたのより豊かな人生に寄与できると信じています